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アディーナ・シュヴァルツ教授による銃器工具痕鑑定批判概要 (51)  [鑑定批判]

  (e) CMS理論に対する的確な見解

 シュヴァルツ教授は、銃器工具痕鑑定関係の文献をよく読み、裁判で検察側の証人となった鑑定者をよく研究していることから、CMS理論(連続一致条痕の判断基準)について的確な見解を述べている。あくまでも、部外者の見解であるが、かえって偏りのない批判になっているように思えた。

 CMS理論は、比較している線条痕の間で、連続的に対応している線条痕の本数が最大で何本あるかを数えて、その結果に基づいて異同識別の結論を導くものである。判断基準とする具体的な本数はともかくとして、どちらの痕跡の方がよく対応しているかを客観的に示すことはできる。ただ、太い条痕と細い条痕、深い条痕と浅い条痕のどちらも1本は1本であり、重みづけがなされない。この点については、太い条痕や深い条痕に重みを付ける考え方もある。パターン鑑定では、通常重みを付けている。ただ、太い条痕や深い条痕は、工具痕の祖父にあたる工具の影響を受けやすいという主張がある。浅く、細い条痕で、一見ランダムに見える条痕こそ、工具痕の異同識別の決め手となる条痕であるという見解があり、重みを付けない方がよいともされている。

 一方、位置と幅が対応する条痕であっても、深さが同等でない条痕を、対応条痕として数える手法と数えない手法とがある。深さが異なっていても対応条痕として数える方法が、2次元的な手法とされ、深さが異なっていれば対応条痕として数えない方法が、3次元的な手法とされる。弾丸の材質が異なる場合や、弾丸表面に磨滅が生じた場合に、再現性の高いパラメーターは、条痕の位置、条痕の幅、条痕の深さの順となる。実際の事件では、資料の状態を見ながら、条痕の深さも考慮した方がよいのか、深さは重視しない方がよいのかを判断することになる。

 このような判断は、熟練した鑑定者は、無意識に迅速に行い、頭で本数を数えることもなく結論に至る。比較顕微鏡で観察している際に、確かに条痕の対応関係を見ているわけだから、それを「数えている」という言い方をすれば、誰でもCMS的な判断を行っていることになる。しかし、鑑定者の間でCMS理論の人気が高まらなかった理由としては、その基準が厳しすぎて、見逃し鑑定が増加してしまうことと、具体的数字を示すと、鑑定結果に上げ足を取られる機会を増やすことになるからであろう。線条痕の数え方に厳密な方法が存在しない以上、「こんな条痕を数えたのか。まだまだだな。」といった指摘を仲間内から受ける可能性が増大する。

 現実には、弾丸発射ごとの発射痕の変動が大きく、CMS基準が厳しすぎて見逃し鑑定が増加することは大きな問題である。密造拳銃の発射痕変動は特に大きいが、その腔旋痕形状が特殊であり、その形状は銃身ごとに大きく異なり、線条痕は対応しなくても腔旋痕の全体形状の対応が良好であれば、同一銃身を通過した弾丸とする結論が誤る可能性は極めて低い。そのような場合にはCMS基準は邪魔となる。

 一方、CMS基準をクリアしている場合には、その比較写真の左右の類似性は高く、それを見ただけで自ずと結論が得られる場合が多い。逆にCMS基準はクリアしているが、その比較写真を見ても、左右の痕跡の間の類似性が低く感じられる場合は要注意である。パターン鑑定もCMS鑑定も、どちらかが優れているというものではない。ただ、結果を追認する場合にCMSを適用することが多いだろう。合うかどうかが全く分からない資料に対しては、パターン比較で一致の可能性を迅速に棄却可能で、本数を数える必要すらないことが多い。現実の比較対照において、そのような場合が、類似性が少しでも見られる場合の100倍以上あるというのが実感であり、現実の鑑定でCMSを適用する機会は少ない。

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アディーナ・シュヴァルツ教授による銃器工具痕鑑定批判概要 (50) [鑑定批判]

  (d) 伝統的な主観的鑑定手法について

    シュヴァルツ教授は、従来の銃器工具痕鑑定は、鑑定者の主観に基づくものであり科学的でない、といった主張をしている。そして、鑑定者の間の統一見解は存在しないと主張している。これは事実である。しかし、数値で示すことのできるような客観的な判断基準が存在しないことと、鑑定結果が誤っていることとは同一ではない。誤鑑定を繰り返していては、この世界で鑑定者として生きていけるわけはない。鑑定者は誤鑑定を避けるための最善の努力をして鑑定結果を導いている。ただ、その努力は、鑑定作業に当てられより、鑑定結論を曖昧にすることに向けられることが多いのが実態である。

 腔旋痕諸元を用いて発射銃種の推定を行うには、各種の銃器の腔旋諸元データをそろえることが必須である。そのようなデータを精力的に収集した人として、マシューズ博士が有名である。博士は膨大な腔旋諸元データを集めたにもかかわらず、いや集めたからなのか、銃種推定の鑑定結論には、誤りを回避させるためのあいまいな表現を残しておく必要性を説いている。「資料の弾丸を発射した銃器が○○であると確信した場合であっても、発射銃器は○○あるいは、これと同種の腔旋諸元を有する銃器」とせよ、とのことである。

 発射銃種の推定を腔旋痕諸元で行う場合、各種の銃器の出現率(押収数割合)のデータがあれば、確率的表現をした銃種推定が可能である。ところが、実際の事件は奇異なもので、それまでにほとんど使用されたことのない銃器、あるいは押収されたことのない銃器が使われることがある。銃種推定リストの末尾にあるような1%の確率の銃器が使用された場合、いくら数字で確度が示されているとは言っても、捜査側は「先生も間違えましたね」となる。○か×かの世界であり、確率99%の結論の価値は認められない。

 銃器工具痕鑑定のような経験に基づく鑑定を行っている分野は、自らの結論に愛着を持っている。一方、米国学術会議がその科学性を評価しているDNA鑑定や化学鑑定の分野は、単に分析した結果を示したまでで、誤る確率はどれだけで、もし誤ったのなら、その値に入っていたのだと、結論にそれほど愛着は持っていないようである。

 死亡時期の推定で、「その人物の生存が確認されていた時期と、その人物の死亡が確認された時期の間である」としか答えなかった高名な先生の話が有名である。誤りを防止するために、誤りが含まれない意味のない結論にする鑑定の方が多いのが実態であろう。それなのに、「容疑工具以外のこの世のすべての工具を排除できる」というような結論が導かれた場合、よほど痕跡の対応がよかったのだろうと考えられる。ただ、この分野の仕事を長年続けていない人には、それが理解できないだけのことである。

 AFTEの鑑定基準は、誤一致鑑定を防止できる一方で、見逃し鑑定が多くなる基準である。鑑定者が自らの基準で判断していることが、何か悪いことのように語られているが、鑑定者が自らの基準で判断したものであれば、鑑定者はその結論に自信を持っており、結論に責任を持つであろう。個々の鑑定者の結論に対して、基準を策定した人も、鑑定書を決裁した人も責任を取ることはない。最終的には、鑑定者がその結論の責任を取ることになるのであるから、鑑定者が責任を持てる結論を自らの基準に基づいて鑑定書を書くべきなのである。
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アディーナ・シュヴァルツ教授による銃器工具痕鑑定批判概要 (49) [鑑定批判]

 結局、銃器の部品表面には均質性の高い工具痕が残され、発射弾丸に残される痕跡は、発射ごとに大きく異なることが一般的な事実である。複数の発射弾丸に残されている痕跡から、それらが同一銃器に由来する痕跡であるのか否かの判断を、現実にはわずか残されている類似性のある痕跡から行う必要があるのが現実であろう。そして、それは経験を積んだ鑑定者にしかできない技で、「ひよこ」にはできないというのが、私がこの世界に入った時に先輩から言われた言葉であった。

  (c) 銃器工具痕鑑定にはおける統計的・経験的基礎
   シュヴァルツ教授は、「信頼性のある銃器工具痕鑑定の結論は、本来確率的表現がなされるべきものである。・・・工具痕の異同識別の鑑定結果を、断定的に結論するにしても確率的に結論するにしても、その結論を導く上で必要とされる経験的、統計的根拠が希薄なのである。」と述べている。そして、その後の主張の中で、「政府系の鑑定者(government’s firearms and toolmark experts)」という言葉で、警察関係の鑑定者を批判している。体制批判の論調が強いことを感じるが、銃器工具痕鑑定において、体制側が悪いという論調はあてはまるであろうか?

 政府系の鑑定者も民間の鑑定者も、ともにこの仕事を飯のタネとして行っていることは確かであるが、民間の鑑定者は、鑑定結果が直接報酬に結びつく度合いが高く、政府系の鑑定者はその結びつきが弱いのが実態と思う。特に、日本国内の警察関係の「○○研究所」などの鑑定機関では、職員の鑑定業務実績に対する評価は極めて低く、それに対して研究業績を高く評価しているというのが実態である。鑑定には極力時間を割かずに、個人の研究に時間を割いた方が給料が上がる評価システムとなっている。人事評価をする管理者が、鑑定内容をよく理解できない傾向も強い。したがって、鑑定結果が捜査を支援する結論であろうが、捜査と矛盾する結論であろうが、内容による個人業績の評価はできないことから、捜査側に寄り添う鑑定を行う動機付けは薄い。

 一方、誤鑑定が発生した場合の人事評価のマイナス点はことのほか大きく、鑑定では無難な結論を導くことになる。アメリカの鑑定者が行っているような、「この世に存在するすべての工具を排除できる」などとの結論を導く鑑定者はいないであろう。「可能性がある」などの無難な鑑定書を作る方が得策である。これは、最近の公務員の人事評価システムによって、必然的にたどり着く結果である。

 昔はどうであったかというと、この世界は徒弟制度で、先輩達は自らの持っている技を他人に教えないことによって、自らの立場を維持してきた。自らの鑑定は、自らの統計的・経験的基礎に基づいて行い、その基礎があることを誇りとし、しかしその経験を後輩には教えたがらなかった。鑑定を新人に任せることはなく、先輩たちが行い、「新人はどうしようもない」とけなすことによって自らを高めるといった世界であった。統計的・経験的基礎がないのではなく、それは秘伝であり、公開しないものであった。統計的・経験的基礎がないのであれば、鑑定結果は誤りだらけとなり、その業務が破たんしていることは傍からも分かってしまう。大きな誤りもなく鑑定を継続してきたことによって、この業務が存続できたのであり、そのことは統計的・経験的基礎がこの分野にもあったことを示している。ただ、それが公表されることはなく、それを尋ねられても公開できるような文書は存在せず、先輩鑑定者が引退したり死亡したりしたときに、そのデーターは失われるものであった。
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アディーナ・シュヴァルツ教授による銃器工具痕鑑定批判概要 (48)  [鑑定批判]

(15) あとがき

  (b) 銃器工具痕鑑定の原理には矛盾がある  承前

 現実の工具痕の再現性は、この両極端な場合の間にある。ただ、従来の発射痕・工具痕鑑定が期待している条件は、加工精度がそれほど高くなく、製品ごとのばらつきが大きかった時代の状況を引き継いだもので、楽観的に過ぎるきらいがある。大量生産技術が発達する以前、あるいはその発達過程の製造技術を前提とした識別技術を引き継いで現在も鑑定を行っている部分がある。銃器あるいは銃器部品の大量生産を行っている会社では、製造技術と製品管理技術がその時代より進歩しており、製造された製品のばらつきは小さくなっているであろう。加工材料の均質性も高く、連続して製造される部品相互の形状の均質性は高くなっている。また、部品の互換性が高くなり、部品交換がされることも多くなった。このような環境では、それまでの技術をそのまま引き継いだ鑑定法では誤まりが生じることがあろう。

 一方発射弾丸は、エネルギーをもって飛び出す物体であればことが足り、発射弾丸の形状を揃えることは弾丸発射の目的ではない。弾丸は発射して使い捨てられるものなので、競技射撃や狙撃などの目的でもない限り、廉価な弾丸が好まれる。1か所の発砲事件で、弾丸の材質や形状がばらばらのものが次々に発射されることも珍しくなく、連続発射された弾丸だからといって表面形状の均質性が低いことが多い。1丁の拳銃から多数の弾丸が発射された発砲現場でも、回収された弾丸の間で発射痕跡を合わせられないことは珍しくない。特に弾丸が破片化してしまうと、全体の痕跡の把握が困難となり、使用された拳銃の丁数を確定させることも難しくなる。


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アディーナ・シュヴァルツ教授による銃器工具痕鑑定批判概要 (47)  [鑑定批判]

(15) あとがき

  (b) 銃器工具痕鑑定の原理には矛盾がある  承前

 この条件を発射弾丸についあてはめてみよう。ある1本のブローチを用いて、連続して多数の銃身の腔旋を加工したとする。工具痕の再現性が100%であれば、これらの銃身の腔旋の旋底表面には、全く同一の表面形状の工具痕が残される。それらの銃身から、多数の弾丸を発射したとする。すると、1本の銃身から発射された多数の弾丸に残される旋底痕が全く同一の痕跡となるばかりでなく、その1本のブローチで腔旋を加工されたすべての銃身から発射された弾丸すべてで、全く同一の旋底痕が付けられることになる。これが、工具痕の再現性が100%である場合の結果である。したがって、このような条件下では、ある1本のブローチが製造に関わった銃身が装着されたすべての銃器の発射弾丸には、全く同一の旋底痕が残される。ただし、腔旋の旋丘部分はブローチで加工されず、ガンドリルやリーマの加工方向は銃身軸に直角であることから、それぞれ異なった旋丘痕が残されるであろう。すなわち、ブローチで加工された銃身から発射された弾丸に残される旋丘痕には、準型式特徴の問題はまったく存在しない。一方で、冷間鍛造で加工された銃身の場合では、工具痕の再現性が100%の仮定をすると、全く同一の工具痕の銃身が多数製造されることになり、それら銃身を通過した弾丸の発射痕はすべて同一になる。

 これに対して、工具痕の再現性が0%の場合には、工具によって加工された表面に残される工具痕には、工具に由来する痕跡が付けられるものの、連続生産された製品に残される工具痕が次から次へと大きく変化し、その工具痕の間に関連性を認識できない。すなわち、複数の工具痕を観察しても、それを加工した工具が同一であることは言い当てられない。たとえ同一のブローチで加工した銃身であっても、その加工面に同一工具が使用された形跡は一切認められず、同じ銃身から発射された弾丸の表面にも、銃身が同一であることを示す形跡は一切認められないことになる。ただし、切削加工や研削加工では、工具痕の再現性が低くなる可能性はあるが、プレス加工や冷間鍛造などでは、工具痕の再現性が0%という条件は現実的でないだろう。
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アディーナ・シュヴァルツ教授による銃器工具痕鑑定批判概要 (46)  [鑑定批判]

(15) あとがき

  (b) 銃器工具痕鑑定の原理には矛盾がある  承前

 ところで、よく考えてみると、発射弾丸を特定の銃身に結び付けているのは、この準型式特徴を用いて行っているともいえる。ある銃身から、連続して弾丸を発射すると、一定の発数の間は、発射弾丸の表面に共通した痕跡特徴が残される。これはまさに準型式特徴と同じである。一方、個々の発射弾丸の痕跡の間には、詳細に調べれば必ず相違点があり、1発1発の弾丸を区別できる固有性がある。

 ジョンが想定していた準型式特徴は線条痕の形態をした工具痕であった。ところで、準型式特徴の問題は、孫に相当する工具痕に祖父に相当する工具の影響が表れることを言っているもので、なにも線条痕としてだけ現れる特徴ではない。この問題は、痕跡の再現性の問題として、もっと統一的に考えなければならないのだが、それを強く言うと銃器工具痕鑑定の土台が危うくなるので、あいまいにされている。

 ここで準型式特徴の問題を理解するため、痕跡の再現性が完全である場合、すなわち再現性が常に100%である場合を仮定すると、何が起こるか考えてみよう。工具痕の再現性が100%ということは、工具自体に変化があっては実現困難である。すなわち、工具に摩耗や損傷が一切生じない場合に限って実現される。また、工具と加工物の表面との接触条件なども常に同一でなければ実現されない。これは現実にはあり得ない仮定であるが、思考実験として考えてみよう。

 工具痕の再現性が100%であれば、同一工具によって製造された製品表面に残される工具痕は、完全に同一の痕跡となる。すなわち、型式特徴が完全に一致するだけでなく、固有特徴痕まで完全に一致する。続いて、その製品が工具となって新たな製品を製造した場合に、その製品の表面にも全く同一の工具痕が付けられる。この場合、孫の製品に準型式特徴が現れたというが、全く同じ痕跡を共有する孫製品が出来上がる。このような条件では、同一工具痕の製品が際限なく再生されることになる。
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アディーナ・シュヴァルツ教授による銃器工具痕鑑定批判概要 (45)  [鑑定批判]

(15) あとがき

  (b) 銃器工具痕鑑定の原理には矛盾がある  承前

 同一工具によって付けられた工具痕の間で、対応する痕跡のみを固有特徴というわけではない。製造図面で管理できない痕跡特徴のすべてが固有特徴である。確かに、それらの中のある部分は、互いに対応する痕跡となっているであろう。そして、工具痕を識別する際に固有特徴という言葉は、「同一の工具によって付けられた痕跡であることを示す特徴で、同種の他の工具による痕跡とは区別できる十分な固有性のある痕跡」といった意味で用いられることが多い。同種の工具による工具痕と共通しているような痕跡特徴は、固有特徴には含めないのである。このような定義のあいまいさは、シュヴァルツ教授が指摘されている通りに存在する。この、同種の工具による工具痕と共通している痕跡特徴で、図面で管理されていないものが、準型式特徴である。

 準型式特徴はSub-class characteristicsの訳語である。意味するところは固有特徴と見誤るような、互いにきわめて類似した特徴であるが、連続生産された製品のあるスパンにわたって認められる共通した痕跡特徴である。型式特徴は、設計図面に指定された特徴であるが、準型式特徴は製造図面には指定されていない特徴であり、製造後の検査対象にもならない工具の表面形状の一種である。したがって、固有特徴の一種なのである。同一工具で連続生産された製品表面に、それらが同一工具によって製造されたことを言い当てることができるような形状で残されている痕跡である。ただ、詳細に検査すれば、形状に矛盾点(工具の表面形状が変化したのではなく、元から異なる形状をしていた工具によって付けられた痕跡であることをうかがわせる部分)が認められることから、固有特徴と区別できるとされる。

 準型式特徴には、工具痕鑑定を時に誤鑑定に導く可能性のある痕跡として、Sub-class characteristicsという名称がジョン・マードックによってが与えられた。この名称が定められたのは1989年10月のFBIアカデミーにおける会議の席上であった。1930年代に銃器工具痕鑑定分野で、固有特徴と型式特徴の名前が用いられるようになってから、実に50年以上を経て定義された新しい用語であった。私はその会議に招かれており、日本語の感覚では偽固有特徴の方が適切な名称かと思った。Pseudo individual characteristicsというような名称が思い浮かぶが、英語力のない私が、自信満々のジョンと渡り合うことはできなかった。現在、英語ではSub-class characteristicsは確立した用語となっているが、準型式特徴という訳語は20年以上経過しても定着しそうにない。
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アディーナ・シュヴァルツ教授による銃器工具痕鑑定批判概要 (44)    [鑑定批判]

(15) あとがき

  (b) 銃器工具痕鑑定の原理には矛盾がある  承前

 銃器工具痕鑑定の原理には、もともと矛盾点があることから、自信を持ってその仕事をこなすことは難しい。鑑定の原理とされるものが、ある場面では、製品を加工した工具が同一であることを言い当てることができる根拠として使用され、ある場合には、製品を加工した工具が同一であったとしても、加工品の工具痕には製品を識別するだけの違いがあるとの根拠として使い分けられているからである。分かり易く言うと、同じ銃身を通過した弾丸には、同じ痕跡が付くが、同じ工具で加工された銃身表面の加工痕跡には、それぞれを識別できる異なった特徴があるとしている。このような都合の良い仮定の下に、誤りのない鑑定を行うためには、相当数の工具とその痕跡を詳細に観察した後でなければ、自信を持って結論を導くことができるはずがない世界である。工具痕鑑定の難しさは、痕跡の再現性の予測が難しい点にある。痕跡の再現性の予測が困難なことに起因する問題点を、シュヴァルツ教授は3つの欠点に分けているが、これはもとは一つの問題である。

 工具痕には型式特徴と固有特徴及び準型式特徴があるというのがアメリカの工具痕鑑定における考え方である。型式特徴とは、工具の設計図面に現れている特徴であり、工具を製造する前から分かっている特徴とされる。たとえば、ねじを回すドライバーの刃を考えると、そのドライバーの刃先の寸法が型式特徴となる。場合によっては、刃先の仕上げ粗さが図面に示されていれば、それも型式特徴かもしれない。型式特徴は、製品管理上、製造後に寸法検査などで測定されることもある。

 固有特徴とは、製造した際に現れる表面特徴で、図面では管理されていない特徴である。これは、製造してみなければどのような形状になるか分からず、製造した後も、その形状が記録されることはない。アメリカのニューヨーク州やメリーランド州で行われた打ち殻薬きょうの痕跡登録法がその例外である。

 同一工具によって付けられた工具痕の間で、対応する痕跡を固有特徴というわけではない。製造図面で管理できない痕跡特徴のすべてが固有特徴である。確かに、それらの中のある部分は、互いに対応する痕跡となっているであろう。そして、工具痕を識別する際に固有特徴という言葉は、「同一の工具によって付けられた痕跡であることを示す特徴で、同種の他の工具による痕跡とは区別できる十分な固有性のある痕跡」といった意味で用いられている。同種の工具による工具痕と共通しているような痕跡特徴は、固有特徴には含めないのである。このような定義のあいまいさは、シュヴァルツ教授が指摘されている通りに存在する。この、同種の工具による工具痕と共通しているような痕跡特徴で、図面で管理されていないものが、準型式特徴である。
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アディーナ・シュヴァルツ教授による銃器工具痕鑑定批判概要 (43)   [鑑定批判]

(15) あとがき 承前

  (b) 銃器工具痕鑑定の原理には矛盾がある

   シュヴァルツ教授は、「銃器工具痕鑑定には重大な3欠点がある」としているが、その欠点を3つに分ける必要はない。「工具痕には、その痕跡を付けた工具の特徴が、一定の再現性をもって残されている。」というのが、工具痕鑑定の原理であり、それ以外のものはない。工具痕に、どのような形で、その痕跡を付けた工具の特徴が残されているかを調べる(見つける)のが工具痕鑑定者の役割である。その特徴は、場合ごとに、いろいろな場所に、様々な形で残されていることから、駆け出しの鑑定者がよい仕事をすることは難しい。長い経験を積んだ鑑定者の方が良い仕事をする。この分野では、「経験10年はひよこだ」といわれてきたが、そのような分野は多いだろう。最近天竜川の川下り船の事故で、「(船頭)経験4、5年はまだひよこだ」という、こちらが駆け出しのころ先輩からけなされた懐かしいこの言葉を聞いた。ただ、こちらの場合は、経験4、5年ではなく10年でもひよこだという言葉だった。

 船頭の仕事が科学的であるかどうか、部外者なので分からないが、誰が船を操っても同じような結果が出て、その方法を他人に分かり易く教えることができるのであれば、かなり科学的な仕事であろう。銃器工具痕鑑定も、その程度で科学的である。少なくとも、どのような教育を行おうが、銃器工具痕鑑定は、誰がやっても同じ結論、同じ結果が出るという種類の仕事ではない。できる人もいれば、できない人がいるというのが長年の教育経験で得た結論である。船頭の仕事もたぶんそうであろう。突然の難しい事態が発生した時、熟練した船頭は危機を回避できるだろうが、未熟な船頭では回避できずに沈没させてしまうことになる。エラーの発生である。このようなエラーの発生率、エラーレイトの大小の問題以前に、熟練者と未熟者との間では、その仕事をこなす上での自信の大きさの程度が違うであろう。

 実力がないのに、自信過剰の人もいる。ある世代にそのような人が多いようにも感じてきたが、たとえ自信を持っていても、実力がなければ失敗は生じる。その失敗で自らの自信過剰を修正できる人もいれば、仕事を辞めてしまう人もいる。自信とは、いろいろな異常事態が生じても、それらに対処できるであろうという見込みがあって生まれるものだ。自分には対処できそうにない異常事態が発生することを想定できない人は自信過剰に陥る。日ごろ、様々な条件を想定して訓練することによって、次第に根拠のある自信が身に付くことになる。
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アディーナ・シュヴァルツ教授による銃器工具痕鑑定批判概要 (42)   [鑑定批判]

(15) あとがき

  (a) 全体を通じての感想

 この論文は、全米刑事被告人弁護士会(National Association of Criminal Defense Lawyers)の機関誌のチャンピョン誌(Champion Magazine)の2008年10月~12月号に掲載されたものである。冒頭の銃器工具痕鑑定とは何かを解説した部分と、具体的な事件名や判事名の一部は省略したが、その他の部分の大半は紹介たつもりである。銃器工具痕鑑定者として紹介されている人物は、全員が私の知り合いであるが、その主張は正しく伝えられており、実名で載せた。

 通読してまず感じたことは、シュヴァルツ教授が確信して主張していることが、法廷でなかなか認められないことで、さぞかしストレスを感じられているであろうということだった。批判の内容は、事実を伝えており、裁判で認められて当然と思って主張しているようである。ただ、その主張の根拠は、自分が裁判所で経験したことを除くと、取材した銃器工具痕鑑定者の主張や伝聞、あるいは読んだ論文に基づく批判であり、銃器工具痕鑑定の実態を必ずしも理解してはいないものと感じられた。

 彼女の主張は、アメリカの裁判で全面的には認められて来なかった。それを認めることによる混乱が大きすぎるからであろう、問題点があるからといって、それを全部否定してしまうとどうなるのか?アメリカでは、殺人事件の大半が銃器によるもので、その証拠が否定されてしまうと、凶悪犯を有罪にする手段が失われてしまう。アメリカでは日本より物的証拠の価値を重視しており、捜査の積み上げによる状況証拠や被疑者の自白で有罪とすることの多い日本とは状況が異なる。一部に含まれる冤罪事件のために、すべての銃器使用殺人事件の証拠が否定されれば、すべてが無罪となる可能性も生じる。それでよいのだろうか?冤罪事件はなくしたいが、安全安心な生活も守りたいと考えるのが普通であろう。それは、現在大きな論争となっている原発問題とも通じる点があろう。原発事故は御免こうむりたいが、豊富な電力を使用する生活は続けたいという問題構造と通じるところがある。日本の銃器犯罪の裁判では、発射痕の証拠以外のものが重視されることから、弁護側がここまで発射痕証拠を批判することは少なかった。

 ここで紹介した論文の批判内容は、全体として良い点を突いているのだが、部外者による批判であることから、分かっていないな、との歯がゆさを感じる点が多々あった。以下、当事者であった立場から補足してみたい。
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