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銃器と工具痕鑑定への科学的手法の応用 4 [法科学]

(3) 禅とオートバイ修理技術にみる科学的手法 承前

 科学的手法の利用法について、ロバート・パーシグ(Robert M. Pirsig)の「禅とオートバイ修理技術」という思いもよらぬ本の中で、素晴らしい考察がなされている。パーシグの本は、アメリカ国内をオートバイで横断旅行する際に、人生を内省的に振り返っているといった本である。この旅行の間、パーシグは人生哲学を読者と共有する。その第9章でパーシグは、帰納法と演繹法、および科学的手法について素晴らしい議論を展開している。この章は、科学的手法が、本当はそれほど複雑ではないことを分かりやすく解説していることから、ためになる章である。我々は、日常生活の中で、それを何気なく使っているのである。科学的手法のステップを自覚することなく使っていることから、その解析手法の詳細を鑑定ノートに記載することもない。

 第9章を読むと、ユーモアを交えたパーシグの語り口のうまさから、科学者であってもなくても、誰でも科学的手法の概念を簡単に理解できてしまう。読者は、日常生活の中で、ほぼ毎日科学的手法を使用しているのだが、単にそれに気付いていないだけだとすぐに悟る。さらにパーシグは、日常生活の中で生じる問題の大半には、本格的な科学的手法を適用する必要はなく、その必要があるのは一部の難しい問題に対してだけであることも示してくれる。スイッチを入れても点灯しない電球を修理する際に、どれだけの人々が知らずに科学的手法を用いているだろうか?パーシグが示したモデルを用いて、この例題に科学的手法がどのように用いられるかを説明してみよう。
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銃器と工具痕鑑定への科学的手法の応用 3 [法科学]

(3) 禅とオートバイ修理技術にみる科学的手法

 銃器と工具痕の鑑定を行う過程で必要となる判断は、これまで職場での鑑定者への教育訓練と、鑑定者が業務経験によって培った経験に基いて行われてきた。鑑定手法は、科学的な基礎研究で築かれた原理に基づいたものであり、これらの鑑定を行っている者は、日々の鑑定で科学を応用している。ただ鑑定者は、その鑑定の理論が開発された過程で、科学的手法が利用されてきたことを普段は意識していない。鑑定者は、日々の業務で以下のような鑑定事項を受理する。

 1 この弾丸はこの銃によって発射されたものか?
 2 致命傷となった弾丸が発射されたとき、被害者と銃口の距離はどのくらいであったか?
 3 致命傷となった弾丸が発射されたとき、射手はどこにいたのか?

 日々の鑑定で、この種の問題を解決する際に、科学的手法を用いた「基礎的研究」を行う必要はない。そのため、日常の鑑定業務に科学的手法を用いていないかのように思い込みがちである。我々の鑑定作業の大半の部分では、本格的な科学的理論構成を行っているわけではないが、鑑定の過程では科学的手法を用いている。
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銃器と工具痕鑑定への科学的手法の応用 2 [法科学]

(2) 序文

 銃器鑑定者と工具痕鑑定者は、鑑定に際して科学的手法を用いて行っているかどうか、裁判で尋ねられるだろう。また、鑑定者が大学で科学分野における教育を受けていなければ、この種の鑑定を行うことはできないと指摘されるかもしれない。鑑定者は、法廷で受けるこのような質問に答えられなければならない。

 大学における科学教育を受けてこなかった鑑定者は、このような質問を受けるとうろたえるかもしれない(ひょっとすると、そのような鑑定者は、大学で科学教育を受けてきた大半の人々に怖れを感じているかもしれない)。科学者でなければ、科学的鑑定ができないのだろうか?答えは「できる」である。銃器と工具痕鑑定者は、科学の学位があろうがなかろうが、日々の業務をこなす過程で生じる問題解決の際に、実は科学的手法を用いている。科学的に積み上げられた知識をもとに、問題を解決している。銃器と工具痕鑑定者は、たとえ科学分野の学位を所持していなくても怖れるには当たらない。ドーバートの基準と連邦証拠規則第702条のいずれも、鑑定者が科学者であることを要請していない。

 しかしながら、ドーバートの基準を踏まえると、鑑定者にとって以下のことは極めて重要である。
(1)鑑定法が科学的手法を土台としていることを完全に理解していること。
(2)鑑定理論と鑑定実務の両者が、科学的であることを完全に理解していること。
 科学的手法が単純であることを完全に理解していれば、科学の学位がなくても、銃器と工具痕の鑑定手法が科学的手法であることを自信をもって説明できるようになる。それによって、自らの主張を批判から守ることができる。

 以下に示す例を学ぶことによって、日常の鑑定に用いられている科学的分析法をよく理解すれば、法廷で自らの仕事を簡単に説明できるようになるものと思う。
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銃器と工具痕鑑定への科学的手法の応用 1 [法科学]

(1) はじめに

 今回紹介する文献は、「銃器鑑定と工具痕鑑定は、連邦と州が要請する証拠の信頼性要求基準を満たしている」とする大きな論文の付録2として、2003年のAFTEジャーナルに掲載されたものである。「銃器と工具痕鑑定への科学的手法の応用 禅とオートバイ修理技術-法科学への貢献-科学的手法の解説」という長い題名となっている。著者のブルース・モラン(Bruce Moran)はカリフォルニア州サクラメントの法科学研究所の研究者で、ジョン・マードック(John Murdock)はATF研究所の研究者である。アメリカでは、科学的鑑定の証拠価値を判断するドーバートとフライの基準があるが、銃器鑑定と工具痕鑑定が、その基準を満たしているとするのが、その大きな論文の内容である。

 銃器や工具痕の鑑定者の大半は法執行機関に所属しており、その機関の中で、教育期間や見習い期間を経て、一人前の鑑定者となってきた。鑑定者は、銃器や工具に対する豊富な知識と、注意深い観察力や痕跡形状に対する特殊な記憶力を駆使して鑑定を行っている。痕跡の鑑定法を教育する大学はなく、閉鎖的な環境で培われ維持されてきた鑑定技術は、はたして科学的なのであろうか?鑑定者は科学的基礎知識もなしに鑑定を行っているのではないだろうか?といった疑問が1990年代以降、アメリカの裁判所では盛んに投げかけられるようになった。

 この文献は、裁判所で科学の知識や鑑定の科学性を追求されて立ち往生してしまう鑑定者に対して、科学的分析法を分かりやすく解説したもので、これらの鑑定技術者の養成テキストとして利用されているものである。

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科学的手法と法律 31 [法科学]

(9) 結論

 行動科学を法律に応用することは可能と、私はきわめて楽観的に考えている。私が楽観的なのは、科学を法律に適用することが私の仕事だからである。また、私が精神科医であることもその理由であろう。すべての行動科学の中で、精神医学は、法律に最も影響を与えてきた(必ずしも良い影響だけではないが)。そのことから、法律が近い将来に、もっと科学的になるだろうと私は思っている。法律が科学的になるといっても、それが科学者の手によって行われるようになると私は思わない。そうではなく、法律理論や実務に、科学的手法を用いるようになるだろうということである。これによって、法律は現在の物理学や人類学のように科学的なものとなるだろう。そうなれば、法律の機能が、たぶんもっと効率的になり、現在うまく機能していない神秘主義的理論や手法を捨て去るようになるだろう。

 法律業務は、主に3つの大きな活動からなっている。決定すること。論争を解決すること。そして人間の行動を制御することである。これらが法律のアウトプットである。これら3つの出力を、それぞれ科学的に分析し、その分析結果を法律がその手続きの中で調節し、与えられた業務をさらに効率的に遂行できるようにフィードバックする。そのためには、法律はその手続きの中に、もっと科学的手法を用いて、科学的な観察を行う必要がある。

 この法律を科学的にする作業は、法律家としての観点を持たないアウトサイダーの手によって始められた。それはまだ十分ではない。法律は、自ら科学的法学を開発すべきである。弁護士や裁判官が、科学的手法にもっと習熟し、その手法を法律に適用できるようになり、自らの学問として発展させるべきである。

(完)
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科学的手法と法律 30 [法科学]

(8) 法律における二値論理学 承前

 原子核物理学者は、こうあるべきだ、いやこうあってはならないとったジレンマからはもはや解放されている。たとえば、電子のような素粒子を記述するには2種類の方法がある。電子は、時空間に明確な座標を有する小さな粒子として記述することができる。または、電磁波として記述することもできる。論理的な定義からは、波動は粒子ではない。したがって、この2種類の記述は、互いに両立しないものである。この点についての論議によって、原子核物理学の発展の経過で多くの時間が浪費された。この問題は、電子に粒子としての性質と波動としての性質の両者が発見されたことによって結局のところ解決した。そして、互いに相容れない物質の二面性は、単に観察者側の純粋理性の意味論の中にしか存在しないのである。たとえ電子の実際の構造を記述する適切な言葉が、科学者の頭に思い浮かばないとしても、それと観察者の言語上の問題であって、物理学の問題ではないとされた。この言語上及び概念上の困難さは、物理学の問題ではない。なぜならそれは数学の言葉で記述されているからであり、数学には本質的にこの問題がないからである。

 物理学者は、数学を用いることで、五感で得られる大局的でマクロ的な世界観から類推される限定的推定や、偏った観念から解放された。もし法律が人のことを理解したいなら、そして、人の行動を効果的に予測し、その行動を制御したいと思うなら、法律も使う言葉にもっと気を配らなければならないと私は思う。
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科学的手法と法律 29 [法科学]

(8) 法律における二値論理学 承前

 物理学者は、このような決定論主義者ではない。現代の物理学者は、すべての衝突力が分かったとしても、少なくとも原子レベルのある種の現象を推定することはできないことを知っている。たとえ量子論の統計的概念を適用しても、大量の原子核粒子の挙動は予測できても、一個の粒子の挙動は、一定の不確かさを持ってしか予測できない。我々はもはや、フランスの数学者ラプラス(Laplace(1749-1827))が思い描いたような、宇宙のすべての原子の 位置と運動量を知り、すべての数式を解くことのできる優秀な知能をもってすれば、宇宙の未来の出来事をすべて正確に予測可能であるというような夢を描くことはできない。一方法律は、未だラプラスのように、限りなく完全な証拠法を用い、限りなく正直で完全な証人がいれば、完全な正義が実現できると思い描いている。

 法律は自由意思の名の下に、決定論を拒絶したがる。ところが、法律によって決定可能であると思い込んでいることを見れば、法律が厳格な決定論に自信を持っていることが明らかとなる。もし、法律が科学的になろうとするなら、法律は、自らが大切にしている有罪と無罪に関する考え方や犯罪者の責任論の考えを放棄しなければならない。特に、精神障害者に法律を適用しようとするときはそうしなければならない。法律が人々の行動を理解できるようになるには、20世紀の物理学者が原子の挙動を理解するためにしなければならなかったことをなぞるようなことになるはずだ。
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科学的手法と法律 28 [法科学]

(8) 法律における二値論理学 承前

 この決定が困難であった理由は二値論理学で物事を決めようとした点にあり、正当な証拠や正確な証拠がいくらあろうとも、多値の問題を二値で解くことはできないのだが、法律家の頭には、それが全く思い浮かばないのである。

 物理の世界で提唱されているハイゼンベルク(Heisenberg)の不確定性原理が、法律家の自由意思に対する信念を正当化するために使われている。これは私には形而上学的ナンセンスとしか思えない。「不確定性原理」の正しい意味は、あることについて知りたい思うと、人は同時に別のことを知ることはできない、というものである。さらに、ある種の矛盾は解決できないし、解決する必要もないということも意味している。

   因果律を信じ込んでいる神秘主義的合理主義者は、統計的確率論をある程度認めている。コインを1回投げたとき、コインの表が出るか裏が出るかを予想することはできないが、1000回コインを投げれば、コインの表と裏の出る割合がほぼ半々であることは知っている。ところが彼にはもっと知識があり、すなわちスーパーマンとなれば、コインを投げる時の手からコインに伝わる力加減から、周囲の空気の揺らぎに至るまですべて把握できれば、1回投げたコインの裏表を決定できると考える。これで彼は、厳格な決定論主義者となる。
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科学的手法と法律 27 [法科学]

(7) 帰無仮説と確実性の探究 承前

 事実の予測能力をもった論理導出法は、必ず帰納的手法を含むことが明らかになったのは、フランシス・ベーコン(Francis Bacon(1561-1626))の功績である。ベーコンは、さらに帰納的推測の限界についてよく知っていて、特にカラスの例のような列挙型帰納法については、その限界を知っていた。その種の帰納的主張には、常に誤りが含まれる危険性が存在する。しかしながら、予測の価値がある一般的論理を構築するためには、我々はこのリスクを取らなければならない。

(8) 法律における二値論理学

 法律は、二値論理学を継続的に使用することにより、演繹的合理主義から外れたものとなる。法律は、対象がこうあるべきか、こうあるべきではないかを仮定している。被告人は有罪か、有罪でないか?被告人は精神障害者か精神障害者でないか?極秘文書か、極秘文書ではなかったか?といった具合である。さらに言うと、法律は、対象がこうあるべきか、こうあるべきではないかを適切に決定できない場合は、証拠が不完全であることがその理由としてきた。もし法律が適切な規則(たとえばマクノートン・ルール(M'Naughten Rule))に照らしても、被告人が精神障害者か精神障害者ではないのかを決定することが困難な場合は、証拠が不完全であるか、証拠に間違いが含まれているに違いないと法律は判断する。そして法律は、もっと完全な証拠、もっと正当な証拠、あるいはもっと科学的に正確な証拠があるならば、その決定は容易となり、正しい決定が下せるものと考える。
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科学的手法と法律 26 [法科学]

(7) 帰無仮説と確実性の探究 承前

 法学がこれまでずっと掲げてきた問題の多くは、この種の意味のない質問である可能性が高い。「正義とは何か?」は、その種の質問である。大半のの質問は、犯罪者責任の定義に関係している。傷害事件の被害を主観的痛感に変換し、慰謝料で賄うというのは、この種の意味のない定義の類であろう。法学が、その存立をかけた重要課題としている問題の多くを、優秀な哲学者たちが言語学的分析を行おうとしてることは、問題を弄んでいるようにしか私には思えない。

 有名な三段論法に次のようなものがある。「すべての人間は死ぬ。ソクラテスは人間である。したがってソクラテスは死ぬ。」これは、「2+2=4」と同様に、定義を語る以外に何らの科学的内容も持たない空の命題である。どのような演繹的な分析を行っても、これから更なる内容を引き出すことはできない。

   一方で、次のような推論「これまで見たカラスはすべて黒かった。したがって、この世のすべてのカラスは黒い。」には、前提条件以上の内容を含んでいる。この主張は、未だ見たことのないカラスの色が、今まで見たカラスの色と同じであると推定している。ソクラテスの三段論法は真であることが保証されている。一方で、カラスの色の推定の正しさは、これを保証することはできない。それは真実の近似とみるべきであり、さらなる観察によって修正を受けなければならないものである。もし、黒くないカラスが明日発見されれば、この推論を放棄するのではなく、新しく得られた知識にも適合するように推論を修正することになる。それはこのようになるだろう。「これまで見たカラスは1羽を除いて、すべて黒かった。したがって、この世のほとんどのカラスは黒い。」カラスの色に関する二つの推定は、ともに確率を推定している。後の推定は、「ほとんどの」という確率を示す用語が含まれていることから、それを理解することは容易だろう。一方、ソクラテスの類の3段論法には、確率の推定は含まれておらず、更なる観察を加えたとしても、その信頼性が影響を受けることはない。
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