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科学的手法と法律 8 [法科学]

(4) 自然科学と社会科学

 科学的手法が司法制度に利用されていないのは、科学の発展の歴史的経緯の結果である。現代の自然科学(いわゆるハードサイエンス、物理科学あるいは精密科学)の発展の歴史は、16世紀のコペルニクスとガリレオにさかのぼる。ケプラー(Kepler、1571-1630)とニュートン(Newton、1643-1727)からアインシュタイン(Einstein、1879-1955)とプランク(Planck、1858-1947)までは、素晴らしい科学の成果が連続して得られ、物質とエネルギー、空間と時間、そして宇宙に対する我々の知識は革命的に進歩した。自然科学は我々に素晴らしい予測手段を提供し、エネルギーと物質に対する信じ難いほどの力を与えてくれた。一方の神秘主義は、この自然科学と予言と操作能力を競っても勝ち目はなかった。自動機械を用いた大規模な工場を作ったり、航空機を飛ばしたり、宇宙空間に飛行士を送ったり、悲劇的なことだが戦争に科学技術を用いるときに、現代人は信仰や祈りや迷信を用いることはない。経験的観察と実験に基づく自然科学は、現代のすべての科学技術の基礎となっている。

 しかしながら、人々の生活に関連した科学は、最近になって発展し始めたばかりである。医学を含む生命化学は19世紀に始まり、心理学や社会学の大半は20世紀になってから生まれた。生命科学の進歩は著しく、病気治療や根絶、寿命の延長や食糧の生産や加工に目覚ましい成果を上げた。テレビや航空機のような物理科学の恩恵の多くが生み出されたのも、日々の食料を調達するための骨の折れる作業から多くの人々が解放されたからこそ可能になったことである。生命科学による農業と畜産の進歩によって食料生産の効率化が進んだことによって、多くの人々が都市部に移住したことから、我が国は農村経済から都市経済へと転換した。このような都市の発達は、たぶん物理科学が生み出した技術をフルに活用するために必要であっただろう。しかしながら、物理科学も生命科学のどちらも、長い目で見て、これらの技術開発が良かったのか悪かったのかを教えてはくれない。さらに悪いことには、寿命が延びて健康となり、食べるものも豊富で技術的に進歩したこの生活によって、人々が以前より幸せになり、もっと平和になり、自己実現が進んだのかを、経験的観察によってもいまだ明らかにできないのである。
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科学的手法と法律 7 [法科学]

(3)  科学と予測 承前

 法律は、価値観を告げるだけのものであってはならず、それを執行しなければならない。法を執行するためには、信仰、信念や確信の力に頼らざるを得ない。大半の人々は、法に対する信頼感を抱いており、法律は道徳的価値観を表明したものであると信じている。文化の神秘性を共有せず、法律に懐疑心を持っている人々に対して、法は執行力を発揮し、物理的力と心理的な強制力をもって、その価値観を押し付ける。もちろん、最初の段階では、法を信じない者たちを捕まえ、彼らが法律を信じないものであることを明らかにし、続いて何らかの方法で彼らを処罰するという段階を踏まなければならない。司法行政機関は、これらの段階に応じて、警察、裁判所、刑務所と処刑場で構成される。そして、前に掲げた4つの文明は、すべて明文化された法律を好んでいたことから、我々も法律を明文化している。そのためには、法律と規則、さらにはその立法府が必要となる。法律は吟味し解釈する必要があることから、この機能を果たす控訴裁判所が用意されている。弁護人と裁判官が警察、検索、刑執行者を兼ねてはならないという実務上の理由から、これらの機能は政府機関に任されている。これによって、法律は、完全な形で確実に政治機構と一致している。

 司法制度は、立法者から刑の執行官まで多くの人々によって遂行され、極めて複雑な一連の社会的活動となっている。それぞれの関係者が固有の仕事をしており、それぞれが固有の問題や不十分な点、そして失敗を抱えている。絞首刑の代わりに行われることとなった電気椅子などのわずかな例外を除くと、法の執行に科学はほとんど関与していない。なぜ、法律がここまで非科学的なのであろうか?法律がさらに科学的になると、社会にもっと役立つであろうか?

  私はこの疑問のうち最初の、「これほどまで科学が社会に浸透している現在においても、法律はなぜこれほどまで非科学的なのか」に対して答えることは容易と考えている。2番目の疑問に対して答えることは、これよりずっと難しいと考えている。
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科学的手法と法律 6 [法科学]

(3)  科学と予測 承前

 この点を分かりやすく説明しよう。橋を架けることは、それ自体は科学ではない。単なる機械的な作業の積み重ねで橋は架けられ、それによって生活の利便への欲求を満たすことができる。ただ橋を架けるためには、橋に掛かる荷重を推定し、橋を建設するのに必要な材料を選定して設計するために科学的な原理が必要となる。そこで正確な予測を行うことができれば、実用可能な橋が完成する。もし予測を誤れば、完成した橋は崩壊するであろう。しかし、いかなる工学知識も、橋の建設が良いことであるとか、橋を建設しない方が良いとかを告げてはくれない。また、橋を渡りたい人がいるかどうかを予想できる科学者もいない。さらに言えば、人々が橋を渡りたいと思うように将来を導きたいのであれば、神秘主義の信仰の方が、科学より強制力が強いことが分かるであろう。しかしながら、人々が橋を渡るかどうかを予想する、よりよい手段を科学が提供するであろうことにも注目したい。

 このような観点でみると、科学が我々の周囲の自然環境を驚くほど支配してしまい、その範囲は全宇宙にまで及んでしまったことに、20世紀のジレンマがあることがよく分かる。現在の我々にとって、宇宙旅行も可能となっている。宇宙の起源からその行く末までを、科学的に解明できるようにもなってきた。原子に潜む謎をほぼ解明でき、物質そのものからエネルギーを取り出せるようなところまで来ている。原子力エネルギーを利用して、安価で便利な夜間照明を家庭に点灯し、水素爆弾を使えば、人類のある民族全体を効率よく絶滅させてしまうことまで可能となった。残念ながら、科学はどの道を選ぶべきかを我々に教えてくれることはない。それを決定するためには、価値を図るシステムが必要となる。倫理的、人間的な価値を創造するためには、神秘主義の産物である信仰に訴える必要がある。

 ここで、神秘主義が、倫理的にも宗教的にも、さらには迷信の点においても、この2000年間に大して進歩していないという困難な問題に直面する。この、2、3世紀の間に生まれた新しい価値観は、いずれも数千年も前から知られていた基本的価値観と大した相違はない。特に法律は、倫理、道徳、正義、善と悪などの価値観、さらには強制力を伴った状況でのこれらの価値観と関係している。価値観について知られていること、あるいは語られていることをすべて集約すると、古いものにたどり着く。価値の法則は西洋社会の4大文明の起源にたどり着くというものである。それらは、ユダヤ文明、ギリシャ文明、ローマ文明とキリスト教文化である。現代法についての諸説の大半は、これらの異なった文化の中から取捨選択と融合の上、全体的にうまく機能するように合理的に作り上げた価値基準となっている。
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科学的手法と法律 5 [法科学]

(3)  科学と予測 承前

 神秘主義は、すべての人々行動を予言したり決定することはない。単に、それを深く信じている人に作用するだけである。信心や信仰がなければ、自己実現につながる予言は存在せず、信仰の厚い人々の行動は予測できても、信仰心のない人々の将来の行動を予測することは不可能である。信者たちの将来に及ぼす力は、懐疑心があると奪われてしまう。そのため、迅速な改宗と信心が要求され、信者には狂信的になることが要求される。わずかな懐疑心も、予言どおりに行動する心理的な力を大幅に奪ってしまい、人間の行動を期待する方向に向かわせる力が弱まり、予言したものとは異なる行動をすることにつながってしまう。

 その結果、神秘主義者は科学者とは対照的に、経験に基づく観察結果を重視せず、その結果を自身のみならず他者が利用することをも許さない。観察結果によって不確実性が生じ、懐疑心を生むことになり、それによって彼の予言能力は大幅に弱まり、彼の将来に対する決定力を単なる偶然任せの予言へと弱めてしまうからである。

 しかしながら、神秘主義は科学の経験的客観主義に対して、一つの計り知れない強みを持っている。神秘主義への信仰と信念(とりわけ宗教や道徳の形をとったもの)からは価値が生まれる。他方で、科学は価値を生み出さない。科学は、単に観察をし、その結果を記述するだけである。
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科学的手法と法律 4 [法科学]

(3)  科学と予測 承前

 神秘主義は、原始的宗教のアニミズム、占星術などの占いの純朴さ、伝統的哲学の理屈に見られるものだが、それは予知の手段として用いられる。すべての神秘主義は信仰、確信、信念に基づいている。人の心は、信仰を行動に移すようにできている。そのようにして起こる人間の行動は、現在を操ることによって将来を変化させる。それによって、神秘的な信念が、何か真実のように思えるようになり、予想されたことが実際に起こったりする。神秘主義は、人類の世界で強力な力となり、先史時代から現在に至るまでの間、実際に作用するものとして生き残ってきた。神秘主義が予想したことは、偶然に賭けるよりは分が良かった。これは、予言が自己達成される心理的メカニズムによって実現される。信仰を持つ人々は、信仰が実現されるように行動する。

 不運にも、予言の主要な手段として神秘主義を執り行う者の中に、宇宙の原理について予言するものは誰もおらず 唯一の例外として人間自身につての予言は行うものの 自己実現につながる予言に過ぎなかった。神秘主義は、自然の厳しさを受容するという難しい作業を常に行ってきた。それを避けるために、魔術による錯覚、奇跡、儀式、宗教や願掛けに逃避することになった。神秘主義は、空想の破綻の言い逃れをするための、手の込んだシステムを延々と構築してきた。それらの大半は、神秘主義による予言が、出まかせのペテンであることがばれないようにするため、経験に基づく観察結果によって試されることを避けてきた。

 素朴な迷信だろうが手の込んだ哲学のように見えようが、宗教の形を取ろうが、法律の形を取ろうが、どのような形の神秘主義も、人々を操るもっとも強力な手段であると私は信じている。なぜなら、それは自己実現につながる予言となり、人間の将来の行動を予言したり決定することができるからである。しかしながら、それは宇宙のその他の部分に何らの影響も与えない。とりわけ、人間の身近な環境を作り上げている物事の多様性の理解には、何の役にも立たない。そのためには科学が必要となる。

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科学的手法と法律 3 [法科学]

(3)  科学と予測 承前

 ここで、神秘主義と科学をできるだけ簡単に定義してみよう。神秘主義は、経験的に観察された事実に基づかずに、将来を予測する。科学は、経験的に観察された事実に基づいて将来を予測する、と定義できるだろう。現代の知識人にとって、なぜこれほど長い人類の歴史において、過去の経験を利用せずに未来予測をしてきたのかを理解することは難しいであろう。ただ、科学が発達する以前は、人類の観察能力は極めて限られたものであったことに加え、観察能力があっても、観察することを拒んでいたということは驚くべき事実である。

 たとえば、サモスのアリスタルコス(Aristarchus of Samos)は、紀元前約200年に、地球は太陽の周りを回転していると唱えた。この優れた科学理論は、コペルニクスより1,700年も先立つものであったが、当時のプトレマイオスの理論を主たる根拠として、ギリシャの天文学者や哲学者から排斥を受けた。その議論は、もし地球が太陽の周りを回っているとしたら、高所から落とされた石は真下に落下せずに、角度を持った軌跡を描いて落下するであろうというものであった。この力学に対する誤った認識は、当時のギリシャ人であっても、2方向のベクトル成分を持った力が作用する落下物を用いた簡単な実験観察によって正すことができるものであった。信じられないことだが、この簡単な実験は、航行する船のマストの上から石を落下させる実験をガッサンディ(Gassendi)が行うまでの、その後の1,900年間にわたって行われることはなかった。石はマストの根元に落下し、石には船の進行方向の運動も加わっているが、落下方向にもその成分が加わっているので、見かけの落下位置にその影響は表れないというガリレオの法則がこの実験で証明された。

 ギリシャ人も船を持っていた。アリスタルコスでもプトレマイオスでも、これと同じ実験を行うことはできたはずである。そうすれば、科学は2,000年も進歩は速まったであろう。なぜ、ギリシャ人はこの実験を行わなかったのであろうか?この質問に対する答えは複雑になり、今では明らかにできない点もあろう。しかしながら、一つの要因は明らかである。ギリシャ人は、自然や宇宙、力の作用に関する重要な発見が、単純な観察によって導くことができる、という重要な予測を信じていなかったのである。その代りに、真実は純粋理性によってのみ導かれるものと信じていたのである。彼らは、すべての真実は、ユークリッド幾何学と同様に導かれるものと考えていた。純粋ではなく、不完全で、信頼性の低い感覚器官を通じた知覚を通じて得られた結果に依存することなく、超越的な力を通じて純粋理性で真理は導き出すことができると考えていたのである。このような神秘的な考え方によって、プラトンの理想主義やアリストテレスの論理学が発達し、それらは現在の法理論に浸透している。
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科学的手法と法律 2 [法科学]

(3)  科学と予測

 科学が果たす役割は多岐にわたるが、その中でも未来を予測する心理的な作用の果たす役割が大きい。その未来予測の能力によって、現在を操る大きな力が生まれる。それによって、科学は未来を変化させることができるようになる。科学の内容と力の実態は、科学の持つ将来予想の能力に基づいているが、科学者以外がその内容を理解するのは難しい。その上、科学の強力な未来予測能力を利用しない、あるいは利用できない者にとっては、その力は理解できない。たとえば、原始時代から存在した科学の中で、もっとも偉大な発見は農業である。大地に種をまく行為は科学的行動ではない。多くの鳥や動物たちが種をまいているが、我々は鳥や動物を科学者とはみなさない。しかし、種をまくと植物が育ち、それを食料に利用できることを予測した最初の原始人は、その後の人類と環境とのかかわり方を全く変化させ、それによって大きな科学的な力を取得した。人類の環境とのかかわり方は、社会の形を決定づける基本要素の一つであり、種をまくことによって人類の経済生活と社会生活は抜本的に変化した。

 ここで改めて強調しておく。科学の核心は予測にある。事象の観察と記述は、単なる歴史に過ぎない。過去に起こったことを基に、将来何が起こるかを予測できるようになって初めて、歴史は科学となる。この予測能力、すなわち過去のことを未来に当てはめる能力を通じてのみ、人類は現在を操り、その結果として未来を操ることができる。

 人類がホモサピエンスという単一の種となるはるか前の、もっとも初期の原始人は、予測こそすべての権力の源であることを知っていたようだ。人間以下の動物の中ですら、未来予測の能力を備えたものがいるようだが、利用できる証拠からはその数は少なく、多くは本能に従い、自動的な行動パターンを取っているようである。しかしながら、原始人は将来予測に夢中になっており、その他の未来予測能力を高度に発達させていた。それは神秘主義であった。科学と同様、神秘主義の本質は将来予測能力にあり、現在を操ることによって、未来をいかに変化させることができるかを教えるものである。
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科学的手法と法律 1 [法科学]

(1) はじめに

 ここに紹介する論文は、カリフォルニア大学ヘースティングス法科大学校の季刊誌「ヘースティングス法律ジャーナル」の第19巻(1967-1968年)に掲載されたものである。著者のベルナルド・ダイアモンド(Bernard L. Diamond)は、カリフォルニア大学を1935年に卒業し、1939年に博士を取得した精神科の医師である。その一方で、カリフォルニア大学バークレー校の犯罪学と法律科の教授であるとともに、サンフランシスコのマウント・ジオン病院の精神科副所長であった。この論文は、ヘースティングス法科大学校が1967年3月17日にカリフォルニア州サンフランシスコで開催した第13回全米法律レヴュー会議における彼の講演に手を加えたものである。

 科学とはなにか、科学にはハードサイエンスとソフトサイエンスがあること、法学はソフトサイエンスに属するが、それをより緻密なものへと発展させることが自らの仕事だと説いている。

 この論文は、アメリカで法科学を志す者が読んでおくべきものの一つとされている。この論文も、畏友ジョン・マードック(John E. Murdock)が提供してくれたものである。

(2) 序文

 若かりし頃、私が医学を専攻しようと決心するきっかけとなったものに、「異常と奇形の医学(Anomalies and Curiosities of Medicine)」と題する素晴らしい書物があった。この分厚い本は、1897年に初版が出版されたもので、人間に発現するあらゆる種類の身の毛もよだつような奇形と異常の図と、その解説を集大成した本であった。中には性的な含みのあるものが多く、若者の不健全な興味を引くには十分な代物であった。

 この本を初めて読んだ当時、いつの日か自分が異常と奇形を扱う医者になるとは夢にも思っていなかった。しかし、そんなことよりも、みなさんの前に立っている私は、みなさんにとって大変特異な人物であろう。医者、精神科医、精神分析医であり、科学者であり(そうでありたいと思っている)、その上どうしたわけか法学部の教授である。それなのに法律家ではなく、法律の教育は一切受けていないことから、皆さん方から異常な人物に見えるはずだ。

 なぜ私のような法律家でない医者で科学者の私が、評判の高い法学部の教授なのかと疑問に思われて当然である。以前は、こんなことはなかった、それでは、なぜ今はこのようなことがあるのか?私にとっては、これは当然のことに思える。この仕事は良い仕事だからだ。私にとって、法律、特に刑法は面白い。報酬も悪くない。さらに、バークレーのアカデミックな環境は、私が専門教育を受けたサンフランシスコの医学部のざわついた環境よりずっと好みに合っている。しかし、私はこのようなことを理由に法学部を選んだのではない。法学部は、私にとって特別のことを意味しているからである。今晩は、皆様方にそのことを話そうと思っている。

 法律家は医者と同様に職業である。ただ、通常の職業と異なり、これらの職業には資格証明書がある。証明書がその職業を営むだけの実質的力量があることを示している。この証明書は、その職業の一員となるだけの教育を受けたことを認定し、その職業に就くことを許可している。このように、法律家が法学部をコントロールするのは、医者が医学部をコントロールするのと同じである。この資格認定は、この職業に大変保守的な性格を与える。このような専門学部では、自分たちのイメージに合った学生を選択し、その学部が望むような考え方をし、行動をとるように学生を教育することになる。

 しかしながら、最も保守的な職業といえども時代とともに変化し、考え方や実践に変革が生じる。そして、1、2世代も経ないうちに、その職業に属する人たちの行動の基ととなる精神をも変革する。変革が生じていることを示す最も確実な指標は、小さなものではあるが、学部の性格に表れる。これらのことから、近い将来、少なくともいくつかの法学部は、法律の理論と実践について、以前よりずっと科学的になるものと私は考えている。今後、科学的手法や科学的な見方が、現代の生活のあらゆる場面に行き渡るようになると考えても驚くには当たらないであろう。

 科学と、それが生み出した技術が現在の世界にあふれていることを逐一説明する必要なないだろう。科学的変革は、コペルニクス(Copernicus1473-1543)とガリレオ(Galileo1564-1642)に始まり、ものすごいスピードで現在の20世紀まで進んできた。我々の生活全体が科学に支配されているといっても過言ではなかろう。ただ、あらゆる変革と同様、良いことと一緒に悪いことも進んでいく。科学は人類に多大な恩恵を与えた。しかし、それと同時に悪の力をも生み出し、神の力など些細なものと思えるような破壊力をも造り出した。

 現在の科学時代に、法律を科学的なものにできるかという課題設定はありえない。そうではなく、法律を社会に恩恵を与える科学とし、人間性を破壊しない科学としよう、というのが課題である。
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科学的鑑定法 5 [鑑定法]

(3)  科学的手法と犯罪学 承前

5.確立された原理と矛盾する結果が得られた場合には、その原理を変更すべきか、それを放棄すべきなのかを決定すべく、さらなる研究をしなければならない。

6.科学的手法とは、分析者が意図している現象が、今まさに目の前に表れている現象であると確信が持てるまで、試験や実験の条件を注意深く制御しなければならない。

 さらに、分析者は期待に基づく先入観を常に排除する努力をしなけらばならない。先入観は、特異な結果を見落とさせることがある。

7.鑑定者は、いかなる科学も絶えず発展している過程にあるということを認識しなければならない。現在信じられていることが不完全なものであるということは、時が証明するであろう。しかしながら、現在信じられている科学的原理は、検証されている法則と知識に基づいて結論を導くことによって、現在の刑事司法システムに多大な貢献を果たしている。

8.鑑定者は、理性的であるよう十分注意すべきであるとともに、信念が強いからといって、信念の強さを前面に出してはならない。熱心さや信念の強さは、他人からは理性的でないように見え、問題を客観的に見ていないように取られてしまう。現実にはそうではないとしても、理性的な人間が、そうでないように見えてしまう振る舞いは慎まなければならない。

(この項終わり)
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科学的鑑定法 4 [鑑定法]

(3)  科学的手法と犯罪学 承前

 犯罪捜査研究所の分析者たちは、注意深い観察と実験に基づいた手法により、犯罪に関連した情報、証拠を発見し、犯罪現場で発見された物理的証拠を関連付け、それを裁判の証拠として提出する能力を持つものとする。ここで、鑑定者が科学的手法を犯罪捜査に応用する上でさらに必要となる点を以下に示す。

1.事件の証拠物件に新たな科学的手法を応用する前に、その手法を十分に調べ、研究し、検証すべきである。(詳しくは、標準手続の7-13.4項を参照のこと)

2.新たな科学的手法を使用する際に、その手法を補強する研究や検証がされていなければ、その手法が有効であると検証されている範囲内で適用すべきである。

3.鑑定者が科学的手法を利用する際に、その科学的概念の信頼性と限界を知った上で利用することについて、その鑑定者が全責任を負う。

4.仮説とは、一連の事実を暫定的に説明する予想である。仮説は、確実な検査や試験によって否定されるか、確認されるべき主張、あるいは一時的な推測と考えるべきである。

 分析者は、問題や課題に対して批判的な考え方を持つべきで、以下の能力を備えていなければならない。
(1)適切な仮説を作り上げる方法を知っていること
(2)誤った仮説を反証するために、それと関連した実験や経験に基づく観察を行う方法を知っていること
(3)誤った仮説の誤りを指摘するための、妥当な方法や、関連のある方法を熟知していること
(4)相手の誤った仮説に反論できること
(5)相手の仮説が正しいにもかかわらず、それを容認しないという行き過ぎた保守的態度をとらないこと

 仮説を基に鑑定している場合は、徹底的な試験を行い、疑わしき点が生じた場合には、仮説の妥当性を検証するために、条件を変化させたあらゆる関連実験を考えて実行しなければならない。
 分析者は、仮説に行き過ぎた執着をしてしまう誘惑を排除しなければならない。仮説と矛盾した証拠が判明した場合には、即座に仮説を客観的に検証し、仮説に手を加えるか、仮説を放棄するよう努めなければならない。
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