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銃器鑑定の歴史 10 [歴史]

第2部 科学となった銃器鑑識

 銃器鑑識が独自の科学として確立されたのは、1900年代初めから1930年代にかけての時期である。弾丸や薬きょうの発射銃器を特定する鑑定は、この時期に初めて行われている。この時期に、比較顕微鏡が発射弾丸の比較に用いられるようになり、それは現在に至るまで銃器鑑識の標準的機材となっている。この時期に、銃器鑑識や銃器の研究に利用される多くの機材が考案された。銃器鑑識を扱った多くの論文と、何冊かの本が出版されたのもこの時期である。法曹界からの認識も、この時期に勝ち取っている。この時期は、まさに銃器鑑識の黄金時代であった。

 年     国・地域             出来事の概要

1907年  アメリカ合衆国 ブラウンズビルの暴動
       テキサス州   打ち殻薬きょうによる発射銃器の特定
      ブラウンズビル 1907年、数名の兵士は、テキサス州ブラウンズビルで発生した
                暴動に関与した。その暴動の後、口径0.30インチのライフル銃用
                打ち殻薬きょう39個が採取され、その他に採取された数個の
                弾丸と何丁かの容疑のライフル銃と合わせて、フランクフォード兵器
                工場に鑑定送付された。フランクフォード兵器工場のスタッフは、
                これらの証拠物件を研究し、薬きょうに付けられている痕跡から
                発射銃器を識別する手法を考案した。39個の打ち殻薬きょうのうちの
                33個の薬きょうは、11個、11個、8個と13個の4グループに分類できた。
                そして、それぞれのグループに属する薬きょうは、容疑のライフル銃の
                中の特定の1丁と、それぞれ関連付けることができた。残りの6個の
                薬きょうは、容疑銃器の中のいずれとも関連付けることはできなかった。
                発射弾丸については、それを発射したライフル銃を特定する結論は
                得られなかった。
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銃器鑑定の歴史 9 [歴史]

(3) 第1部 銃器鑑識の発端 承前

 年     国・地域             出来事の概要

1900年  アメリカ合衆国  腔旋痕による弾丸の異同識別の論文
       ニューヨーク州  アルバート・ホール博士(Albert Llewellyn Hall)がバッファロー
      バッファロー    医学誌の1990年6月号に「弾丸と武器(The Missile and the
                 weapon)」を発表した。
                 この論文は、初期の発射痕の異同識別の文献としては最も価値の
                 高いもののひとつである。この論文は、1931年になってシカゴで出版
                 されたアメリカ警察科学誌の第2巻311~322ページに再掲された。
                 この論文には、弾丸径の測定法のみならず、旋丘痕と旋底痕の
                 計測法が詳細に説明されている。さらに、メーカーによって弾丸の
                 スタイルが異なることについても触れられている。さらに、銃身内に
                 残存する発射薬と、それが時間の経過によってどのように変化
                 するのかについても議論されている。

1902年  アメリカ合衆国  州対ベスト事件マサチューセッツ州判例集第180巻492ページ。
     マサチューセッツ州 アメリカ北東部州判例集第62巻748ページ。
                  裁判所は、銃身内の腔旋及びその他の痕跡が、その銃身から
                 発射された弾丸に与える影響に関する専門家の証言を許可した。

1905年  ドイツ       発射弾丸についての論文発表
       ライプチッヒ    コッケル(Kockel)による「専門家による発射弾丸の鑑定」が発表
                 される。犯罪抑止誌、ライプチッヒ、1905年

1906年  フランス      小火器の法医学的研究
      ナンシー      ジラール(Girard)による論文「小火器の法医学的研究」が発表される。

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銃器鑑定の歴史 8 [歴史]

(3) 第1部 銃器鑑識の発端 承前

 年     国・地域             出来事の概要

1898年  フランス      射距離決定に関する論文
                  Corinによる論文「銃器から発射された弾丸の射距離の決定」出版

1899年  アメリカ合衆国  銃器を接射した時の傷害に関する論文
       ニューヨーク    William B. Chisholmによる「接射の理論-フランク・N・シェルダン
                  事件の顛末」法医学雑誌1899年6月号。

1899年  アメリカ合衆国   州対デイビス事件アメリカ南東部州判例集第33巻449ページ。
     サウスカロライナ州  サウスカロライナ州判例集第55巻339ページ。
                  裁判所は、銃器の取り扱いの経験豊富な証人が、銃器と
                  打ち殻薬きょうが最近発射されたことを示す形跡があるか
                  否かについて、専門家として証言することを認めた。

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銃器鑑定の歴史 7 [歴史]

(3) 第1部 銃器鑑識の発端 承前

 年     国・地域             出来事の概要

1896年 アメリカ合衆国  州対アズベル事件 カンザス州判例集第57巻398ページ。
      カンザス州     アメリカ太平洋州判例州第46巻770ページ。
                 この事件で裁判所は、銃器の取り扱い経験豊富な証人の
                 証言を認めた。
                 その証人は、証拠物の拳銃と、(その拳銃に装填されていた
                 実包と)同種の実包を用いて、人間の頭髪と紙標的に対して、
                 何通りかの近接射距離による射撃実験を行った。
                 この実験によって生じた発射薬による焼け焦げ痕が証拠とされた。

1897年 フランス       小火器の弾丸に関する論文
                 Philouzeによる短銃身銃器の発射弾丸に関する論文
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銃器鑑定の歴史 6 [歴史]

(3) 第1部 銃器鑑識の発端 承前

 年     国・地域             出来事の概要

1883年  アメリカ合衆国  メイヤーズ対州事件、テキサス州判例集第14巻付録35ページ
       テキサス州    裁判所は、銃器が最後に発射されてからどの位の時間が
                  経過しているかについて、専門家が意見を証言することを認めた。
                  その意見は、発射された、抑えの役割を果たすワッズと
                  銃身の鑑定結果に基づくものであった。

1885年  フランス      銃創に関する文献出版 
       リヨン        回転弾倉式拳銃の弾丸で生じた射入口の法医学的研究。
                 リヨンの法医学研究所論文集。

1889年  フランス      回転弾倉式拳銃の発射弾丸の変形についての論文
       リヨン        犯罪刑法学雑誌第5巻ページ70-79。
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銃器鑑定の歴史 5 [歴史]

(3) 第1部 銃器鑑識の発端 承前

 年     国・地域             出来事の概要

1879年  アメリカ合衆国  ミネソタ州対ロウラー事件、ミネソタ州判例集第28巻216ページ
       ミネソタ州     弾丸に残された腔旋痕を用いた簡易な発射痕鑑定が行われた
                 事件である。この話題に富んだ事件はウィノーナ市で発生し、
                 フレンチ・ルーの名で知られる売春宿の経営者が関与していた。
                 ルーを含んだ3名の紳士が激しい口論となった末、そのうちの
                 一人が射殺された。残りの2名は、いずれも拳銃を所持しており、
                 そのどちらが犯人であるかが問題となった。
                 一人は、口径0.32インチのスミス&ウェッソン回転弾倉式拳銃を、
                 もう一人は口径0.32インチのフード回転弾倉式拳銃を所持していた
                 (訳注:フード(Hood Firearms Company)は、1875~1879年の間、
                 コネチカット州で回転弾倉式拳銃の製造を行っていた)。
                 裁判で証言を許された銃工は、スミス&ウェッソンの拳銃は
                 腔旋銃身だが、フードの拳銃は銃口近くに見せかけの腔旋がある
                 だけの銃だと証言した。
                 さらにこの銃工は、死体から摘出された弾丸は、スミス&ウェッソン
                 で発射された弾丸ではありえず、フード回転弾倉式見銃で発射され
                 たとみられると結論付けた。
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影響が広がるノースカロライナ犯罪捜査研究所(SBI)の鑑定疑惑 [海外の警察]

すでに紹介した通り、アメリカのノースカロライナ州警察犯罪捜査研究所(SBI)の血痕鑑定者が、不適切な鑑定を行ったとされ、この1月に免職となった。その直接の原因となったのは、血痕の予備鑑定のみを行っただけなのに、精密分析を行ったかのように装った鑑定書を作成していたことだった。ところが、その鑑定者は、血痕パターンの分析専門家でもあり、重大事件の多くの鑑定を行っていた。

免職となった彼は、これまで証拠に手を加えて、検察側に都合の良い鑑定結果を導いてきた疑いがもたれている。そして、手を加える前の試験結果が提出される見込みはない。彼は1987年に大学を卒業してすぐにSBIに入所に、それ以来ずっとSBIで仕事をしてきた。そして血痕パターン分析の責任者となり、22年間にわたり、血痕パターンの分析法について、SBIの後進教育を担ってきた。最近では、犯罪者プロファイル分析官として、各地の警察官にプロファイル分析の指導も行ってきた。SBIでは、昨年7月に検事総長が血痕パターン鑑定の停止を命じるまでの間、彼が教育した5名の鑑定者が血痕パターンの鑑定を行ってきた。SBIでは、血痕パターンの分析法の手続き書は存在しなかった。(日本では、鑑定手続き書(プロシージャ―・マニュアル)が存在しなくても、必ずしも、その手法を用いた鑑定結果が無効であるとはされないが、米国では、手続き書の存在と鑑定手法の有効性は直結している。)

現在ノースカロライナ州では、血痕パターンの分析を犯罪捜査に活用することはできなくなっている。しかし、混乱はそれだけにとどまらない。これまでに起訴した事件で、免職となった鑑定者が行った血痕鑑定を用いて起訴され、有罪となった事件をどうするかの問題がある。さらに現在公判中の事件がある。この裁判に、免職となった鑑定者を証人として呼ぼうとする検察官はいないだろう。

犯罪現場に残された血痕パターンは、鑑定者が整理した写真などの形でしか残されていない場合が大半である。SBI以外の新たな鑑定者を探しだすことができても、疑惑のある鑑定者が用意した資料を用いる以外、新たな鑑定を行うことは難しい。

免職となった鑑定者も、検察官の意向を実現するために、熱心な鑑定を繰り広げていた。その一つのマイケル・ピーターソン事件では、裁判に備えて、血痕が飛び散った階段の模型を作り、血液をしみこませた発泡材を被せたマネキンの頭部を木の椅子で殴る実験を行った。裁判では、実験結果を撮影した多数の写真からなるパネルを用いて、陪審員に向けて証言を行った。

検察は、この事件で有罪(仮釈放なしの終身刑)を勝ち取っているが、その事件はこれからどうなるのか注目されている。

ピーターソン事件は「階段(The Staircase)」というドキュメンタリー番組となりそのDVDが販売されている。また、この事件にヒントを得たと思われるストーリーがCSI:のシーズン6の中の「BITE ME(天国への階段)」である。
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銃器鑑定の歴史 4 [歴史]

(3) 第1部 銃器鑑識の発端 承前

 年     国・地域             出来事の概要

1864年  アメリカ合衆国     弾丸形状のみに基づく発射銃器識別
       南北戦争         北軍将軍ジョン・セジウィックが、南軍の狙撃兵によって
      バージニア州       射殺された事件(ジョージア第4歩兵隊のグレース軍曹が、
      スポットシルヴァニア郡 800ヤード離れたところから射殺したとされている)。
                     この件では、弾丸が6角形をしていることを理由に
                     発射元が特定された。この形式の弾丸は、
                     南軍がイギリスから持ち込んだホイットワース社の
                     ライフル銃に用いられるものであった。
                     このライフル銃は命中精度が高いことで有名で、
                     主に南軍の狙撃兵や腕の良い射手が使用していた。

1876年  アメリカ合衆国     モウグホン対州事件ジョージア州判例集第57巻102ページ
       ジョージア州      この事件では、裁判所が銃器の取り扱い経験の長い証人の、
                     専門家としての資格を認めて、銃器が最後に発射されてからの
                     経過時間についての証言を認めた。この種の証拠が認められた
                     初期の事例である。
        

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銃器鑑定の歴史 3 [歴史]

(3) 第1部 銃器鑑識の発端

 銃器鑑識の発端は、1800年代半ばから20世紀になる頃のことである。この頃、銃創の研究が注目を浴びていたことは確かである。その頃の法廷では、銃創や、問題の銃器の最近の発射形跡の有無、発射薬残渣や発射薬パターンについて専門家に証言を求めていた。この頃から、口径を比較したり、腔旋痕の有無による簡単な発射銃器の識別も行われるようになっていた。

 年     国・地域             出来事の概要

1857年 フランス        銃創に関する文献
       パリ         NoiHesにより小火器による銃創についての論文が出版される    
                  

1863年 アメリカ合衆国    口径と弾丸形状による簡易な発射銃器識別
       南北戦争      南軍将軍ストーンウォール・ジャクソンは、5月2日の夜に重症を
       バージニア州    負って死亡したが、その死には不審な点があった。
       チャンセラーヴィル その後、彼の傷口から回収された弾丸を検査したところ、
                   口径約0.67インチの球形弾であることが判明した。
                   そのことから、将軍は、部下が誤って発射した弾丸によって
                   死亡したことが明らかとなった。この種の球形弾は、旧式となった
                   マスケット銃(訳注:先込め式の歩兵銃)で使用されるもので、
                   当時の北軍ではすでに使用されなくなっていた。
                   一方、南軍のヒル師団では通常の装備銃であった。
                   北軍が通常使用していた弾丸は、弾丸底部側が円筒形、
                   頭部が円錐形となっている、口径0.58インチのミニエー弾であった。
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銃器鑑定の歴史 2 [歴史]

(2) まえがき

 (銃器鑑識の)歴史を集めて、最終的に以下の形式にまとめたのは私だが、データの編集は分科会のプロジェクトである。銃器分科会のすべてのメンバーは、例外なく独自の研究分野があり、歴史的情報について、各自の固有の貢献を果たした。分科会のメンバーは、アンディー・ハート(Andy B. Hart)、バート・ムンハル(Burt D. Munhall)、ウォルター・パーキンス(Walter E. Perkins)、フレッド・ライマー(Fred R. Rymer)とレスリー・スミス(Leslie L. Smith)である。
      スタントン・ベルグ(Stanton O. Berg)
      銃器分科会長

 この銃器鑑識の歴史は、重要事件、重要な出来事、重要な文献の発表などを、年代順に並べたものである。その歴史は、大きく3つの時代に分けた。それは、銃器鑑識の創世期、科学的な銃器鑑識の到来期、そして現在につながる銃器鑑識の発展期である。
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